2024年12月31日
エイトリアンの2024年:白煙の向こうに見たもの
走るということ、それはハイグリップタイヤが路面を掴み、エンジンが叫び声を上げ、風が耳元を突き抜ける感覚
ただ速さを追うだけではない──そこには、僕自身を試し続ける『意味』がある
2024年もまた、僕はその答えを求めて走り続けた
筑波のスリックタイヤで刻んだ58秒台
TC1000での37秒4
手にしたはずの結果が「もっと」を求める執念に変わる瞬間だ
鈴鹿ではガス欠症状に泣かされ、富士の走行会では目標タイムに至らない悔しさが胸を焼いた
何度も壁にぶつかりながら、それでもアクセルを離すことはなかった
僕にとって走ることは挑戦そのものであり、諦めることは大げさに言えば、死と同義だ
北海道は十勝の大地で迎えたエイトリアンカップでは、クラブマンコースで29秒フラット、Jrで49秒台、そして苫小牧で食べた海鮮丼、どれも僕の中に刻まれた鮮烈な記憶だ
けれど、心のどこかで「次はどんな走りをする?」という声が常に響いていた
伏見稲荷で誰もいない千本鳥居の静けさに包まれても、その問いだけは消えなかった
僕と愛車との関係は決して平坦ではなかった
マフラーからグラスウールが飛び出し、エアコンが冷風を失い、エンジンは白煙を上げている
それでも、原因を探り続けながら僕は可能性を信じた
走り続けることでしか見えない景色があるからだ──
二度と走ることができなくなる青森スピードバーク、ここを走ることにも僕は強い意味を見出す
かつて仙台ハイランドを失った時に感じた、あの喪失感を二度と味わいたくない、それだけを考えていた
そしてタイヤを削るマシーンに興奮し、愛車の調子を取り戻す一瞬一瞬に、僕は確かな手応えを感じる
オートポリスでの2分2秒台や筑波の最終戦でギリギリ59秒を切ったときの感覚
不調なエンジンを抱えながらも、僕と愛車はその瞬間にすべてを懸けていた
完璧ではない。それでも走る価値がある──そう思えた
この一年、僕が手にしたものはタイムや記録だけじゃない
VALINOタイヤのテストで見えた新たな可能性、走行会で交わした仲間との笑顔、遠征先の各地で触れた静寂──それらすべてが、僕の走りを支える「意味」を形作っていた
まだ白煙を吐き続けるエンジンと共に歩む、ゴールの見えない道
それでも僕は信じている
アクセルを踏み続けるその先に、まだ見ぬ景色があると──
それはタイムという数字ではなく、もっと深く、もっと大切なものだ
果てなき道は恐ろしい、でも、その先の可能性が僕を駆り立てる
──2024年が終わり、振り返る間もなく、僕はまた次の走りに向けて準備を始めている
愛車が鼓動を止めるその日まで、僕は進む、アクセルを踏む
それが僕の選んだ道であり、見たい景色がある限り、物語はまだ終わらない
2024年12月16日
■エイトリアンカップの2クラス、Absolute・Enjoy〜絶対と楽しさのはざまで〜
──サーキットとは、不思議な場所だ
そこに一歩足を踏み入れると、日常が遠ざかり、異世界の風景に引き込まれる。冷え切った冬の朝、冷え切ったパドックに差し込む光は柔らかく、それでいて鋭い
ピットロードに並んだ車たちは、ただ静かにその時を待つ
その静けさの中には、期待と不安が幾重にも折り重なり、ドライバーたちの心拍と共鳴している
──エイトリアンカップは、そんな場所で始まる
AbsoluteクラスとEnjoyクラス、この二つのクラスは、一見すると相容れないもののように思える
Absoluteクラスは「自由」の象徴だ
レギュレーションの範囲内で可能な限りの改造が許され、ドライバーはその自由の中で自分の限界と向き合う
速さを求める者、操作性を追求する者、あるいはただ「自分の車」を極めたい者──目的は違えど、すべての想いがエンジン音となり、タイヤの軋みとなってサーキットに響く
それは人生そのもののようでもある
夢と挫折、努力と歓喜
そのすべてが車の挙動に宿り、一周一周のラップに刻まれていく
一方のEnjoyクラスは、Absoluteとは対照的に「制約」を持つ
その制約が競技の純粋さを際立たせる
タイヤは225/45R18のダンロップZ3に限定され、当日のタイヤ交換は禁じられ、助手席外しや軽量化も許されない
制約・制限の中で、ドライバーたちは自身の技術を頼りにコースを攻略する
余計な要素がそぎ落とされるからこそ、走る楽しさがむき出しになる瞬間がある
私はこのクラスにこそ、愛車でのサーキット走行の本来の楽しみ方を見出すのだ
それは車を操ることの喜びであり、同じ条件で勝負することで生まれる緊張感だ
AbsoluteとEnjoy───この二つを並べたのは、実は私自身の中にある二つの相反する思いが形となっているからだ
自由、そして絶対を追い求めると同時に、縛られた中での創意工夫やサステナビリティを楽しみたいという矛盾
それは私だけではないだろう。ドライバーたちもまた、日常の中で自由を求め、時に制約の中で生きることに美しさを見出している
サーキットという非日常の空間だからこそ、その両方を体現する場所を作りたいと考えた
特にナンバー付きの車両でサーキットを楽しんでいるのなら、なおさら、だ
Absoluteクラスのドライバーがコントロールラインを超える時、彼らの胸に去来するのは達成感かもしれない
enjoyクラスのドライバーがエンジンを切る時、彼らの顔には穏やかな笑みが浮かぶかもしれない
その瞬間の感情はそれぞれ異なるだろう
だが、一つだけ確かなことがある
それは、この一日が両者にとっても忘れられないものになるということだ
かつて、あるドライバーが言った
「速さを求めるのは怖い。でも、そこにあるのは怖さだけじゃない。走るたびに、過去の自分を超えた気がするんだ」と
その言葉を聞いた時、私はハッとする
自由と制約
速さと楽しさ
それらすべてが、ドライバーにとってはただ一つの感覚──「走る」という行為に収束していくのだろう
今日もまた、サーキットには朝の光が差し込む
パドックの中で、Absoluteクラスのドライバーはエンジン、そしてタイヤを温め、Enjoyクラスのドライバーはタイヤの空気圧を調整し、自身の身体を動かし暖める
それぞれが異なる道を走るが、ゴールラインを越えた後、彼らは同じ空を見上げるだろう
薄暗くなる夕空の中、ふと漏れる笑い声が聞こえる
その瞬間、このイベントが生み出したものが、確かに存在していたのだと感じられる
時が経ち、この日のことを思い出す頃、彼らは何を感じるだろうか
Absoluteクラスの速さに身を震わせた者も、Enjoyクラスの仲間と笑い合った者も、記憶の中のサーキットは同じように美しく輝いているはずだ
その時、彼らの心に浮かぶのは、きっとこうだ
「あの時、僕らは確かに走っていた」と───
エンジン音が遠ざかり、コースには静寂が戻る
その静けさは、まるで次の朝を待つようだ
AbsoluteもEnjoyも、すべてが一つの輪の中に収束する
エイトリアンカップはそんな「時」を紡ぐ場所でありたい
それが私の願いだ
2024年12月03日
■クラッチペダルの溶接化対応だエイト!
ここ2年くらい、クラッチがキィキィいっていて、いつクラッチが壊れるか・・と不安に過ごしていた
この音が出てくると、クラッチペダルの薄い板部分にクラックが入り、クラッチがモゲてしまうという話を聞いていたので
なので今回、予備のクラッチペダルに溶接対応をしてもらった
ちっちゃいけど当板もしてもらって、少しだけ補強も入れてもろた
外したクラッチを見たら、このバネのところのプラスチックのカラーが取れて、しかもバネが穴を拡大するイキオイで鉄を削っていた状態だった
キィキィ音のメインはここだったっぽい
なんだ〜、ならクラッチ溶接とかいらないじゃん、と思って外したクラッチを少しいじっていたら、溶接部分がポロンと剥がれて、結局みんなが起きるようなトラブルの一歩手前くらいになってしもた
マジあぶねかったじゃん
やっぱ28万キロも使いっぱなしのクラッチ、流石に限界だった模様・・
強化してもらったクラッチで走ってみたら、とても快適最強サイコー
やっぱこうじゃないとね。気持ちいい〜〜