サーキットは本当に特別か
サーキットという言葉には、どこか敷居の高さがまとわりついている。プロの舞台で、ライセンスを持った限られた人だけが走れる世界――そんなふうに思っていた時期が俺にもあった。以前にもこのblogで書いたけれど実際は違う。ルールさえ守れば、誰でもコースを走ることはできる。
特別でありながら、同時に平凡でもある。プールで泳ぐことや、山道を走ることと大差はない。ただし、速度が上がればそれだけリスクも高まる。だからこそ、この遊びには「軽んじないこと」と「気負いすぎないこと」の両方が必要になるのだと思う。
プロと一般の境界線
プロのレーシングドライバーは、生きるため、食うために走っている。トレーニングも資金繰りも、すべては結果を出すための手段だ。その真剣さは尊敬に値するし、俺には到底真似できない。一方で、食うためではなく純粋に楽しむために走る人間もいる。立場は違えど、そこに上下はない。報酬の有無に関係なく、真剣度は変わらないからだ。むしろ、見返りを求めずに夢中になれる贅沢さは、趣味として走る者の特権かもしれないとまで思っている。
整備は約束のようなもの
コースに入る前に、必ずやることがある。タイヤの空気圧を確認し、ブレーキパッドの残量を見て、油脂類や冷却水の量や状況をチェックする。走りに行く前の整備は、儀式のようでもあり、仲間との暗黙の約束でもある。実際に、走行枠の最初の周でエンジンやデフなどから白煙を上げ、ピットに戻ってきた車を見たことは何度もある。すべてではないだろうが、基本的には整備を怠った結果が大きく起因している。または無理をしすぎたか。
幸いにして、大きな事故にはならないことがほとんどだが、本人の落胆と、コース上に撒かれたオイル処理剤を見れば失望するし、周囲からもため息や恨み節も聞こえることもある。
整備をしないで走るというのは、単に自分のリスクではなく、同じ場にいる全員に迷惑をかける行為だと言っても言い過ぎではないだろう。
「趣味だからこそ走りだけじゃなく、整備や準備も本気で」。その姿勢が、この場所に立つための最低条件だろう
装備は成長に合わせて
安全装備は、いきなりすべてを揃えなくてもいいというのが俺の持論だ。最初からフル装備で挑めば安心感はあるだろうが、現実には費用が重くのしかかり、続ける余裕を奪ってしまう。大切なのは、走りの進化に合わせて少しずつ整えていくことだ。最初に入れるべきはバケットシート。体がしっかり固定されれば、余計な力を使わずに操作に集中できる。次に4点や6点ベルト。ブレーキングで体がぶれなくなり、ライン取りが安定する。そこからレーシングスーツやグローブ、シューズを加えれば、長時間走っても疲れにくくなる。最後に、さらなる速度域に挑むようになったらHANSなどを考えればいい。
安全装備は単なる保険ではない。実はタイムアップ、チューニングパーツと言っても過言ではない。実際に、初めてフルハーネスを導入した方が「こんなに違うのか」と笑っていた姿を思い出す。
装備は守るだけでなく、走りの質そのものを変える。だからこそ「自分の段階に応じて揃える」ことが、最も現実的で誠実なやり方だと思う。
マナーという目に見えない壁
サーキットは一人の舞台ではない。速い人も、遅い人も、初めての人も、同じコースを走る。だからこそ、互いを尊重する意識が必要になる。譲られたときに軽く手を挙げる、それだけで雰囲気は和らぐ。ピットで順番を待つとき、目が合えば軽く会釈する――そんな小さなやり取りが不思議と安心感を生む。速さの比較以上に、こうした信頼感の積み重ねこそがサーキットを成り立たせているのだと思う。
出費とどう付き合うか
サーキット走行は決して安くはない。ガソリン、タイヤ、ブレーキ、走行料金――ひとつひとつの積み重ねが財布を圧迫する。けれど、無理をする必要はない。限られた予算でやり繰りし、工夫しながら続けるのもまた楽しみの一部だ。中古のタイヤやホイールをヤフオクなどで入手したり、仲間とオイルをまとめ買いしたり。そういう知恵も含めて、この趣味のリアルだと思う。
無事に帰ることがゴール
どんなに充実した走行でも、最後にクルマを止める場所はやはり自宅の駐車場だ。そこに無事に戻ることが、この遊びの本当のゴールだと思う。ピットロードを戻ってきて、仲間と「今日は楽しかったよね」と笑い合い、帰りのファミレス等でクルマ談義に花を咲かし、帰宅して今日の楽しかった一日を振り返る。その瞬間までがサーキット走行だと思う───
タイムを削りたい気持ちは誰にでもある。けれど、限界を超えた挑戦は、一瞬で全てを失わせる。上達の近道は「安全に反復すること」であり、無事に帰ることこそが次の一歩をつなぐ唯一の道だ。
未来への不確かさ
ただ、この遊びがいつまで続けられるのかは誰にもわからない。いつも言ってるが、あなたが通ってるサーキット場が突然明日に閉業となる可能性は十分にあるし、内燃機関の車両自体が時代に押し流される日も来るかもしれない。モータースポーツ的な遊びが社会に許容されているのは、実は奇跡のようなバランスの上に成り立っているのを忘れてはいけない。
だからこそ、今走れること自体が尊い。次のシーズン、次の十年に保証はない。一本一本の走行が、かけがえのない瞬間なのだ。
サーキット走行は、特別でもあり、平凡でもある
ただひとつ確かなのは、永遠には続かないということ──
だからこそ、今日走れることに感謝し、クルマを整え、安全を守り、無事に帰る。その当たり前の積み重ねが、未来に残る記憶を形づくっていく。
サーキットは単なる遊び場かもしれない。けれど、今ここで味わえる時間は、間違いなく特別なものだ。
これから先も、できるだけ永くこの場を俺は守っていきたい──



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